滋賀県で最大の面積規模を持つ高島市は琵琶湖西岸の地域から、福井県若狭地方との県境まで広がります。
市内にはマキノ高原のメタセコイア並木、「日本のさくら名所100選」にも選ばれている海津大崎など風光明媚な景観が広がります。
今回はこの地で創業65年、「高島ちぢみ」を織り、販売しておられる株式会社杉岡織布の杉岡社長にお話を伺いました。
高島市の繊維
まずは高島市の歴史から、ご説明しましょう。
琵琶湖を取り巻き点在する近江商人発祥地の一つである高島はブランド繊維として有名な「高島ちぢみ」の生産地でもあります。高島地方で「高島ちぢみ」が作られ始めたのは、江戸時代にさかのぼります。
当時は農家の副業として生産され、糸織り車で糸をつむぎ、手よりされていました。
副業としては収入が多く、織った生地は京都や大阪へ卸されていました。
明治末期の1890年頃には設備を近代化し、工業生産を導入。
工業化と技術指導をもとに高島ちぢみの品質は向上し、その知名度の上昇とともに全国的な展開のみならず、海外にも輸出されるようになりました。
その後も、第二次世界大戦前に日本が国連を脱退したことによる、輸出先の綿製品のボイコット。
戦後、高度成長期での復調そして、輸出好調によるアメリカの輸入制限・・・・
産地は長い歴史で紆余曲折を余儀なくされました。
しかし、危機的な状況を高島ちぢみの地域団体商標登録を獲得することで地域一丸となって巻き返しを計り名産地として続いています。
現場へのこだわり
今回おとどけする日本の名繊維はこの高島地域で創業65年の綿糸から、自家織布工場で製織した生機を販売している「株式会社杉岡織布」様のガーゼ生地。
昭和30年に現社長のお祖父さまである初代が創業され、現在会長である社長のお父さまは、79歳の現在も毎日現場の状況をチェック。
シーズン、天候、織機により異なる特性を見極め、織上がる生地を均一化させることが職人の腕に問われており、取材当日もするどい眼差しで織機を確認する先代の姿は出来上がる生地、まさに、わが子を見守るような真剣なお姿で私たちも緊張感を感じるほどでした。
現場でどのように管理するかがモノづくりに楽しさにも通じるとのこと、それをどのように次の世代に伝えるかが地場産業の根底部分でもあるとお聞かせいただきました。
杉岡織布二重ガーゼから生まれたハーフパンツ
今回おとどけする貴重な生地から生まれた風が流れるステテコは二重ガーゼを使用しています。
二重ガーゼ生地は織の現場で湿気を与えて、表面感が柔らかく織上がっています。
湿気をふくむことで経、緯糸ともに織っている際に切れにくいという特徴もあります。
滋賀県高島 杉岡織布二重ガーゼハーフパンツ 肌触り柔らか綿ガーゼ RiFUKURU
https://www.nissen.co.jp/item/DGF9123B0003
RiFUKURUの取り組みに一言お願いします
杉岡社長にRiFUKURUについて伺いました。
アパレル自体のロットが大きくなる傾向があり、高島地区でもそれにより、残の問題が出ている。大ロットで進み、その一方で日本の消費が落ちていて完成品にロットあまりが発生しているのが現状日本の問題点になります。
産地として得意先の要望に応える必要もあるが、現場プロセスが表面に伝わっていないというギャップが日本の業界の問題ではないかと感じている。
布を通して産地を知ってもらって、産地が残れるような紹介を期待しています。
晴れ渡る青空が気持ち良い日に会社へ訪問させていただきました。
生産の流れにそって、丁寧に工場を案内くださる杉岡社長は生地に対して非常に想いの深い方で私たちRiFUKURUの活動にも、いろいろと激励をくださいました。
各産地の皆様のこのように熱い思いをくみ取り、さらに良い情報をお届けしたいと考えています。
本当にありがとうございました。